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未来予測の難しさ

2020年3月1日 |  kenichi inaho

先月27日に誕生日を迎えました。奇しくも新型コロナウイルスの感染拡大によって自粛ムードが広がる時期と重なりました。私が子供の頃に思い描いていた21世紀は、感染症の恐怖などない、自然と調和した清潔で未来的な社会インフラの中で、人々が平和で満ち足りた暮らしをしている、というイメージでした。手塚治虫氏が『鉄腕アトム』で描いていた世界観に近いでしょうか?(ちなみに、アトムの誕生日は2003年4月7日です。)

 

たしかに、現代文明が世界各所に行きわたり、世界全体としては明らかに良い方向に進んでいるのは間違いありません。ですが、今回のような未知の感染症は度々出現しますし、そのほかにも、様々なインフラの老朽化、貧富の差と社会不安の拡大、一向になくならない国家間・民族間の対立と差別、これらが世界を覆っています。とりわけ日米欧など、かつての先進国に余裕がなくなってきているように思います。

 

近年評価されている映画作品にも気になる点があります。2020年のアカデミー賞作品賞を受賞した韓国映画『パラサイト 半地下の家族』や、2019年のヴェネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した米国映画『ジョーカー』は、現代の格差社会を描き出していました。これまでも過去の時代を舞台に格差社会を描いた作品は多数ありましたが、「弱者が立ち上がって成功する」「強者の側は強欲な悪人」という設定が多かったように思います。その一方で近年の作品は、「切り捨てられた弱者は立ち上がれない」「強者の側も決して悪人ではなく弱者の心に思い至らないだけ」といった印象で、救いようがありません。

 

21世紀もすでに19年が経過しましたが、2001年9月の米国同時多発テロに始まり(奇しくもテロの1週間前にニューヨークにいました)、世の中は予期せぬ方向に動いてきました。身近なところでは、日本の弁理士業界やアカデミアが現在のような状況になるとは、いったい誰が予想したでしょうか? 未来予測とは常に難しいものですが、20世紀以前の「野蛮な世界」に逆戻りさせることだけは避けなければならないと考えています。