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【7/1 弁理士の日記念企画】知財業界での初体験

2019年7月1日 |  kenichi inaho

本日7月1日は「弁理士の日」です。「独学の弁理士講座」を主催するドクガク氏から、「弁理士の日」を盛り上げるため、今年は「知財業界での初体験」というお題を与えられました。以下少し書いてみることにします。

私は1990年代に新卒で電気機器メーカーに入社し、特許部門に配属されました。今でも良く覚えているのは、ライバル会社の特許を「異議申立」で潰すための「証拠集め」を初めて体験したときのことです。当時はまだ公報類が一部しか電子化されておらず、日本特許情報機構(JAPIO)の提供するパトリス(PATOLIS)という中途半端なデータベース(全文検索はできない)を使ったり、霞が関にあった通産省(現在の経産省)別館で冊子単位で保管されていた公開公報を読みあさったり、永田町の国立国会図書館に足を運んで関係しそうな資料を読みこんだりしました。

国立国会図書館は「閉架式」となっていることから、所望の本について閲覧請求し、図書館職員の方にそれを用意してもらう必要があります。今でこそ、パソコン検索で簡単に請求できるようになっていますが、当時はパソコン検索できる資料は限られていました。書名や著者名などが書かれた「目録カード」を探し出し、それを利用して紙で申請する必要があったのです。ホールには「目録カード」を収納した大量のボックスが並んでおり、慣れていなかった私は、その隙間をさまようこととなりました。(国立国会図書館の資料によると、1995年の段階でカードが420万枚もあったそうです。)

証拠集めは難航しましたが、最終的にライバル会社の特許の進歩性を否定できる資料を何とか探し出すことができ、それを基に職場の先輩の指導を仰ぎながら異議申立書を書きました。こちらが異議申立をしたことがライバル会社にバレないように、取り引きのあった弁理士の姪っ子さん(当時は大学生だったらしい)を異議申立人とする書類を作成しました。

結局、そのライバル会社の特許を、無事に(?)潰すことができました。一般的には、明細書等を書いて特許出願し、その後、審査官による拒絶理由通知に対して手続補正書や意見書で反論しながら権利化へと結びつけていくことが、特許担当者のメインの仕事となります。ですが、当時の私は、まだ権利化の実績はゼロの状態でしたから、ライバル会社の特許を潰したことが知財業界における初めての成果となったわけです。現在は、もっと効率的に調査ができますが、原始的かつ非効率な調査をしたことも、今となっては良い思い出です。