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バニラエア搭乗拒否問題 雑感

2017年7月30日 |  kenichi inaho

昨今の情報消費速度は本当に早く、豊田真由子衆議院議員による暴言はもちろん、先月末に報道された「バニラエア搭乗拒否問題」も、人々の記憶から遠ざかりつつある。

6月5日、鹿児島県奄美市の奄美空港で、格安航空会社(LCC)バニラエアの関西空港行きの便を利用しようとした車いすの男性・木島英登氏が搭乗を拒否され、腕の力を使って自力で搭乗するという出来事があった。それから3週間以上が経過した6月28日、朝日新聞がこの一件を、「車いす客に自力でタラップ上がらせる バニラ・エア謝罪」というセンセーショナルな見出しを付けて報道。他のメディアもそれに追随した。

だがその後、木島氏が「車いすであることを事前に連絡していなかった」ことや、「空港スタッフの制止を振り切って自分で勝手にタラップを上がった」ことなどを理由に、「差別の当たり屋」とか、「単なる売名行為」といった声がネットで沸き上がり、木島氏本人が大炎上することとなった。

じつは、私は木島氏とは15年前から親交がある。自分のよく知る人間がリアルタイムで袋叩きに遭う様子を見るのは初めての経験であり、非常に困惑させられた。その叩かれ方も尋常ならぬものであったと思う。また、様々な批判の中で乙武洋匡氏と彼とを同一視する論調も多く見受けられたが、障害のレベルやその知名度、社会的影響力、経済力、不貞の有無はもちろんのこと、事件の舞台が飲食店か公共交通機関かという違いだけでも、両者には大きな相違がある。

もちろん、木島氏に対する批判にも耳を傾けるべきものがあるし、私も彼を全面的に擁護するつもりはない。だが、今回驚いたのは、オーストラリアで99年間入国禁止になっているとか、創価学会員であるとか、電通の激務で車いすになったとか、事実無根の情報が、あたかも真実であるかのように広まっていった点である。一次情報の発信者がアクセス数を稼ぐために意図的に流したものかもしれないが、それが幅広く拡散され、実際に信じ込んでしまう人まで出てくるという事実に驚愕した。

ネットにおける炎上の恐ろしい点は、騒動そのものの記憶が薄れても、前述したような怪しげな情報を含めて当時のコンテンツがネットに残ったままになってしまうところにある。名誉棄損や著作権侵害などが明らかな違法コンテンツは削除できても、自分が消したいと考えるコンテンツをすべて消せるわけでもないので厄介だ。

私が木島氏と知り合ったのは2002年。米同時多発テロの翌年である。当時の私は日系企業の駐在員として米国カリフォルニア州で働いていた。彼はカリフォルニア大学バークレー校に留学中で、初めて出会ったのはシリコンバレーの中華料理店で開かれた日本人の食事会であったと思う。車いすの人間として初めて神戸大学に進学し、電通に入社したという経歴を聞き、相当な努力家という印象を持った。この当時も、伊丹空港から成田空港に移動する際に全日空から搭乗を拒否されそうになった経験について話していた。

米国在住時、彼と一緒に二人で米国内を旅行したこともある。その際、ちょっとした段差があるだけで車いすの人が移動できないという厳しい現実を目の当たりにした。これがきっかけとなって、私は公共の場におけるエレベーターやスロープなどの設置状況が気になるようになり、バリアフリーに関する意識が格段に高まった。そういった意味では彼と出会ったことについて感謝している。

と言いながらも、たしかに木島氏にはかなり強引なところもある。私も一緒に旅行をしていて喧嘩になったことは一度や二度ではないし、その考え方には同意しかねる部分もある。

今回は特に、「事前連絡をしなかった」ことが大きな批判を浴びた。木島氏には、「いちいち事前連絡をしているようでは、本当のバリアフリーは達成できない」という信念があるようだ。これに対して、「安全面から事前連絡は必ずすべき」と主張する人もいる。要は利便性とのバランスの問題だと思うが、車いす利用者であっても健常者と同じような感覚で気軽に利用できる環境を整えることが理想であることを否定する人はいないだろう。

また、木島氏が過去にも同様のトラブルを起こしていることから、「悪質なクレーマー」といった批判も出た。だが、「飛行機に乗る」以上のことを要求しているわけでもないから、個人的には、さすがにそれは言い過ぎのように感じてしまう。

腕の力でタラップを這い上がることも、彼にとってはたいしたことではない。かつて私が一人暮らしをしていたロサンゼルス近郊のアパートに、「泊めてほしい」とやってきたことがある。私の部屋は三階にあったが、アパートにはエレベーターがなかった。そこで彼は、腕の力を使って自力で階段を上りはじめたのである。

私が「おんぶ」しないことを疑問に思われる方もいるかもしれないが、彼は私よりも体重があり、あまりにも危険すぎる。今回のように同行者が5人もいれば担ぎ上げることも可能かもしれないが(※バニラエアの内規では違反行為)、私一人の力ではどうすることもできない。冷酷に見えるかもしれないが、手の出しようがないのである。(できることと言えば、足首を持ってあげることくらいしかない。)

こういう経験があったので、朝日新聞の報道を目にしたとき、自力でタラップを上ったことを同情的に取り上げていることに大きな違和感を抱いた。「企業に虐げられる弱者」という構図を描きたい朝日新聞の報道姿勢から、ああいった記事になったのだろうが、結果的に炎上の発火点となってしまった。

木島氏がバリアフリーに関するコンサルティングや講演などを生業としていることから「プロ障害者」という批判も巻き起こった。本人がAbema TVの出演時にそれを肯定する発言をしたことが火に油を注ぐ結果となった。木島氏の開き直った態度を見て「生理的な嫌悪感」や「感情的な拒否反応」を示した方も多いかもしれない。

だが、世界158か国という、これほどまで多くの場所に出掛けた車いすの日本人は彼以外におらず、そのことで得られたバリアフリーに関する知見が相当なものであることは認めざるを得ないだろう。そして、それらの情報を公開していることを考えると、「障害者が障害を武器に商売をしている」という単純な図式に落とし込むのも難しいように思う。

また、我々が再認識すべきことは、日本が、まだまだ身体障害者にとって非常に暮らしにくい社会であるという点である。インフラ面での整備が進んできたとはいえ、人々の意識面も含めて、まだまだ改善すべきところは多い。特に、今後、超高齢化が進んでいくことを考えると、さらなるバリアフリー化は不可避である。

今回の事件後(一連の報道前)、バニラエアは即座に奄美空港でのアシストストレッチャー(座った状態で運ぶ担架)と階段昇降機の導入を決めた。LCCが限界までの低コストを追及しているという事情は当然理解しなければならないが、この対応を障害者差別解消法の規定する「合理的配慮」の範囲内と考えることは許されないことではないだろう。今回の騒動がバリアフリー化の流れに逆行する結果とならないことを願わずにはいられない。

このケースを含め、様々なネットでの炎上事例が起こる度に感じることは、ネットで形成される「負のエネルギー」を、何らかのかたちで世の中全体のプラスになるような「正のエネルギー」へと転化できないか、ということである。世の中的に「私刑してもよい」という雰囲気ができあがると、それに乗じて特定の企業や特定の個人が袋叩きに遭う傾向がますます強まっている。だが、それだけでは何ら建設的な解決にはつながらない。