第7日(平壌観光3)



朝起きると、胃の調子が大変悪いことに気が付きました。実は、他の日本人旅行者の多くは、既に体調を崩していたのですが、ついに、私の胃もダウンしてしまったようです。確かに、毎日出される食事の鮮度は、大変疑わしいものだったので、これも、仕方のないことなのでしょうか?このような体調だったので、私は、朝食も十分取らずに、バスに乗り込みました。

最初に訪れたのは、万寿台の丘の上にある朝鮮革命博物館です。この博物館は、平壌観光の初日に訪れた金日成主席の銅像の後側に位置しています。ここで、まず、我々は、金日成主席のお爺さんやお父さんの業績を展示したコーナーにやって来ました。何と、金日成主席のお爺さんやお父さんも、帝国主義と闘った英雄だったそうなのです。日本では、そのような話は聞いたことがなかったので、チョット驚いてしまいました。

次に訪れたのは、金日成主席の生い立ちを展示したコーナーでした。何でも、金日成主席は、少年時代に、日帝を打倒することを心に誓って、故郷の平壌を離れ、満州で朝鮮独立のための様々な活動を行い、その後、白頭山を拠点とした抗日パルチザン活動を指揮したそうです。

それを裏付ける資料として、当時の日本語で書かれた文献も結構展示されていたのですが、それらの一部は、戦前の文献にしては、文字が何となく怪しかったです。

(写真36:抗日パルチザンを指揮する金日成将軍の絵)

そして、最後は、金日成主席が亡くなった際の記録ビデオを見ることになりました。確かに、記録ビデオを見ると、当時、北朝鮮全体が深い悲しみに包まれていたことが良く分かります。ガイドの1人は、このビデオの上映中、ずっと泣いていました。


(写真37:金日成広場。奥の建物は人民大学習堂)
それから、高句麗時代に建てられたという大同門と、金日成広場を訪れた後、大同江に停泊してあるプエブロ号という軍艦を訪れました。ガイドの説明によると、これは米軍の軍艦で、北朝鮮の海域でスパイ活動をしていたところ、朝鮮人民軍によって拿捕され、現在は、見世物として停泊してあるとのことでした。
高麗ホテルに戻って昼食を取った後、今度は、万景台にある金日成主席の生家を訪れました。ガイドによると、金日成主席の家系は、3代続いて、金持ちの墓を管理する貧しい墓守だったそうです。墓守をしながら、帝国主義と闘っていたのでしょうか?

万景台の生家に到着すると、既に大勢の学生服の一団が来ています。どうも、学外実習として、この生家を訪れているようです。不思議なことに、彼らは、自分たちのノートにメモを沢山書き込んでいました。一体、何を書き込んでいたのでしょうか?

(写真38:万景台にある金日成主席の生家)

(写真39:世界一豪華!? 地下鉄の駅のホーム)
次に向かったのは、地下鉄です。当然のことながら、自由に乗り降りすることはできず、乗車することができたのは、「復興」という駅から「栄光」という駅の1区間だけでした。下りのエスカレーターを乗り継ぎ、復興駅のホームまで到着すると、その余りの豪華さに圧倒されました。天井からは、何と、シャンデリアのような電灯が取り付けられています。まるで、平壌の地下鉄が、世界で一番豪華なのではないかと思われるほどです。

地下鉄の車内にも、金日成主席と金正日総書記の肖像画が掛けられていましたが、日本の地下鉄とは異なり、中吊りなどの広告は、一切ありませんでした。また、数分後に到着した栄光駅も、復興駅と同様に、大変豪華な造りでした。

その後、本日の観光の最後として、平壌学生少年宮殿を訪れました。ガイドによると、この施設では、子供たちが、200余りあるサークルの中から好きなものを1つ選んで、学校の授業が終わった後、自主的に課外活動をしているとのことでした。平壌の街で、夕方遊んでいる子供たちをほとんど見掛けなかった理由が、やっと分かりました。

学生少年宮殿は、サークル毎の部屋に別れており、我々は、その内のいくつかを訪問しました。理科実験の部屋、刺繍の部屋、アコーデオンの部屋、テコンドーの部屋、書道の部屋、木琴の部屋など、色々な部屋がありましたが、特に、アコーデオンの部屋と木琴の部屋は、我々が入室した途端に子供たちの演奏が始まったりして、何となく怪しかったです。
(写真40:平壌学生少年宮殿のアコーデオンの部屋)

(写真41:平壌学生少年宮殿の子供たちによる歌劇)
その後、観光客は、全て、ホールのようなところに集められ、暫くすると、子供たちの歌や踊りのショーが始まりました。なかなか上手で驚きましたが、おそらく、大変な練習を積んでいるのでしょう。ただ、舞台に上がった子供たちは、一様に、引きつった笑顔を浮かべていて、何となく怪しかったです。
そして、夕方になり、「さよならパーティー」をするために、我々は、羊角島ホテルに向かいました。ここでは、最後の晩餐らしく、神仙炉という豪華な鍋料理が出されました。

夕食後、高麗ホテルに戻り、部屋のテレビをつけると、金日成主席の伝記が放送されていました。そして、この番組の後は、いつものように、金正日総書記の現地指導に関するニュースが放送されていました。この1週間、毎日のようにテレビを見ていたのですが、結局、日本や韓国のことはおろか、北朝鮮での社会的な出来事も、何も知ることはできませんでした。

(写真42:テレビで放送されていた金日成主席の伝記)


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