第6日(九月山・信川・正方山観光)


朝食後、我々を乗せたバスは、港湾都市である南浦へと向かいました。どういうわけか、南浦への道中、写真撮影は厳しく禁止されました。車窓から外を眺めても、特に、変わったものは何もなく、撮影禁止の理由は、よく分かりませんでした。

南浦の市内を通過し、我々は、大同江の河口を塞き止めて作ったという西海閘門にやってきました。全長が8kmもあるという巨大な閘門です。ガイドは、労働者と朝鮮人民軍の兵士が力を合わせて、僅か5年間で完成させたものだと、誇らしげに説明していましたが、確かに、大変な長さです。

西海閘門を通過した後、バスは、次の目的地である九月山へと向かいました。この辺りまで来ると、さすがに、車窓から見える農村も、随分と貧しく感じられました。そのためか、ガイドは、我々の写真撮影に、やたらに神経を尖らせていました。

(写真30:バスの車窓から見た西海閘門)

(写真31:九月山の岩肌に彫られた「21世紀の太陽・金正日将軍」の文字)
そして、九月山に到着。ガイドによると、九月山は、今年に入ってから外国人に公開されたばかりの観光地であるため、我々より前に来た日本人は、まだ数人しかいないとのことでした。何の変哲もない山なのですが、何か得した気分になってしまいました。

辺りを見回すと、妙香山と同様、九月山の岩肌にも、大きなハングル文字が彫られています。ガイドに尋ねると、「21世紀の太陽・金正日将軍」と掘られていると教えてくれました。おそらく、妙香山と九月山だけではなく、他の山々にも、同じような文字が彫られているのでしょう。

バスで九月山周辺を走り回った後、昼食を取るために、我々は、小さな村にやってきました。本当に小さな村なのですが、外国人用の食堂が設けられており、その前でバスは止まりました。

昼食後、食堂の裏手にある丘に上ると、丘の上から、村を一望することができました。村の中を良く見ると、一つだけ、立派な建物があります。その建物は、集会所の類ではなく、何と、映画館であるとのことでした。なぜ、こんな小さな村に映画館があるのでしょうか?


その後、我々は、信川博物館という博物館を見学するために、信川という町にやって来ました。博物館の前に来ると、大勢の労働者や学生が列を作って順番を待っていましたが、我々は、いつものように、待たずに博物館の中に入れてもらいました。

ガイドの説明によると、朝鮮戦争の際、米軍は、この信川で、52日間、罪のない愛国的人民を3万5千383名も虐殺したというのです。博物館内部には、その際の米兵による蛮行の数々が、真に迫る絵画を中心に展示されていました。

しかしながら、米兵が、ノコギリで頭を切ったとか、ハンマーで頭に釘を打ち付けたとか、複数の牛をそれぞれ違う方向に走らせて労働者を八つ裂きにしたとか、まるで、紀元前の中国における刑罰のような展示ばかりでした。

(写真32:信川大虐殺を描写した絵の一つ)

(写真33:400名の母親と102名の子供たちの墓)
博物館の見学後、今度は、2つの倉庫に向かいました。ガイドによると、米軍は、400名の母親と102名の子供たちを、この2つの倉庫に別々に閉じ込め、その後、倉庫内にガソリンを撒いて火を付け、更に、爆撃機で爆撃したそうで、近くには、ちゃんと、その母親たちと子供たちのお墓が作ってありました。

多くの近代兵器を所有する20世紀の米軍が、このような蛮行をするとは、とても信じられませんでしたが、どちらにしても、朝鮮戦争時に、38度線に近いこの町で、多くの人々が亡くなったということは事実でしょう。こういった悲劇が2度と起こらないことを祈らずにはいられません。
そして、信川を後にし、我々は、最後の訪問地である正方山へと向かいました。この正方山には、金日成主席と金正日総書記も、何度も訪問されているとのことでした。山の中腹の見晴らしの良い場所には、ちゃんと、お寺もありました。
(写真34:正方山の中腹にあった寺院)

(写真35:羊角島ホテルの外観)
正方山の観光を終えて、平壌に戻った我々は、高麗ホテルと並ぶ豪華ホテルである羊角島ホテルへと向かいました。他の日本人旅行者で、フィルムを切らした人が、フィルムを買うために立ち寄ったのでした。何でも、高麗ホテルではフィルムは売っていなかったそうです。しかしながら、結局、この羊角島ホテルにも、フィルムは売っていませんでした。「外国人は、写真を撮らずに、さっさと帰れ」ということなのでしょうか?

夕食後は、ガイド同伴で、夜の平壌駅を訪れました。ここでも、やはり、金日成主席の肖像画は、ちゃんとライトアップされていました。


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