第5日(平壌観光2)


平壌観光の2日目です。残念なことに、外は曇っています。まず、祖国解放戦争勝利記念館を訪問しました。北朝鮮では、朝鮮戦争は、祖国解放戦争と呼ばれており、米軍を38度線から南に追い出して勝利したことになっているのです。

記念館の内部には、朝鮮戦争時に使用された戦車や航空機などが展示されていました。その他に、朝鮮人民の勇敢な闘いを表わしたパノラマ館なども併設されていました。

(写真24:勝利記念館の入口にある絵。中央は金日成将軍)

(写真25:祖国解放戦争勝利記念塔)

(写真26:未完の巨大建造物・柳京ホテル)
その後、今度は、祖国解放戦争勝利記念塔を訪れました。すぐ隣りに、ニューヨークのエンパイアステートビルよりも高いという柳京ホテルが見えます。この日は曇っていたため、ホテルの上の部分が霞んで見えなくなっていました。ちなみに、柳京ホテルの建設は、お金と資材の不足のため、ずっとストップしているらしいです。

それから、絵画などの美術品を制作している万寿台創作社という施設を訪れた後、高麗ホテルに戻って昼食を取ることになりました。

午後の出発までに、随分と時間があったので、昼食後に暇だった私は、一緒に来ていた友人と2人で、無断でホテルを抜け出しました。夜は、ガイドたちがホテルの入り口を見張っているため、無断で外に出ることは、ほとんど不可能なのですが、さすがに、昼の時間は、ガイドたちも油断していたのか、誰も見張っていませんでした。

ホテルの外に出て、まず、駅前百貨店に向かいました。駅前百貨店は、どういうわけか、どのフロアにも、ほとんど客がいません。置いている商品も非常に少なく、店員は、ものすごく暇そうにしていました。

つまらなかったので、今度は、平壌駅に向かいました。平壌駅の中まで入ったのですが、ここも特に面白そうなものはなかったので、そのまま高麗ホテルに戻るために歩き始めました。その時、私は、メガネを掛けたスーツ姿の男に尾行されていることに気づいたのでした。どうも、現地の情報部員のようです。友人に「尾行されているみたいだよ」と、こっそり伝えると、友人も気づいたようで、「どうしようか」と答えてきました。

とりあえず、我々は、近くのベンチに腰掛けることしました。我々が座ると、何と、この男も近くのベンチに腰掛けるではありませんか!メチャクチャ恐かったですが、とにかく、ホテルに戻らなければならないので、我々は立ち上がり、地下道の中に入りました。地下道から地上に出てベンチの方を振り向くと、男はいなくなっていました。

しかしながら、暫く歩いていると、やはり、先ほどと同じように、同じ男が我々を尾行しているのです。仕方がないので、我々は、ホテルに入る直前で分かれて、私は、ホテル内のトイレ、友人は、ホテル内の土産屋に入りました。すると、いつの間にか男はいなくなっていたのでした。我々が不審な行動を取らずに、そのままホテルに戻ったので、安心したのでしょうか? 一瞬、どうなることかと、大変心配になってしまいましたが、何とか無事にホテルに戻ることができ、本当にホッとしました。

午後は、平壌の北東に位置する大城山に向かいました。その途中、金日成主席の遺体が安置されているという記念宮殿の前を通ったのですが、恐れ多いということで、建物に近づくことはおろか、バスを停めることすらしてくれませんでした。


(写真27:大城山革命烈士陵で献花する子供たち)
大城山では、まず、革命烈士陵を訪れました。北朝鮮の革命烈士の胸像が立ち並んでいて、何と、鎮魂歌のような音楽まで流れていました。この革命烈士陵の最上段中央には、金正日総書記のお母さんの胸像がありました。現在は、朝鮮の母として全人民から尊敬されているそうです。

その後、高句麗時代の城壁や宮跡を訪れました。個人的には、ついでに大城山遊園地で遊びたかったのですが、連れて行ってもらえず、そのまま平壌中心部に戻りました。
夕刻になり、平壌国際文化センターの地下にある民俗レストランに夕食を取りに行きました。なかなか高級な感じのするレストランでしたが、客は、ほとんどが外国人でした。また、我々は平壌式しゃぶしゃぶを食べたのですが、白人客たちは、なぜか焼肉を食べていました。ステージの上では、3人の女性歌手による歌謡ショーが繰り広げられ、なかなか楽しく過ごすことができました。
(写真28:民俗レストランでの歌謡ショー)

(写真29:美しくライトアップされたチュチェ思想塔)
夕食後は、バスに乗って夜景を見に行きました。チュチェ思想塔や凱旋門などは、相変わらず美しくライトアップされていましたが、「このエネルギーを街灯に使えばいいのに・・・」と、ふと考えてしまいました。


← 第4日(開城・板門店観光)

第6日(九月山・信川・正方山観光)

[↓ 旅行記目次]


[↓プロフィールに戻る]