第4日(開城・板門店観光)


この日は、念願の板門店観光です。朝食後、我々を乗せたバスは、高速道路を南に向けて出発しました。よく観光客が利用する道路のはずなのですが、妙香山に向かう道路よりもデコボコしていました。

板門店のすぐ北に位置する開城の街に近づいてくると、検問所の数も増えてきて、徐々に物々しい雰囲気になってきました。見掛ける軍人の数も、何となく増えてきているような気がします。道路の両側にも、韓国の方向を向いて戦車が沢山配置されていて、韓国との国境が徐々に近づいてきていることが実感できました。

(写真17:開城に向かう途中の検問所)

そして、開城に到着。ガイドによると、午前中の板門店は、中国人観光客の団体でごったがえしているという話だったので、開城で暫く時間を潰してから板門店に向かうことにしました。開城の街は、平壌と比べると、随分と古臭い感じです。人々の服装のレベルも、平壌と比べると大分落ちる感じがしました。


(写真18:意外に小さい王建陵)
開城では、とりあえず、王建陵という、高麗の建国者・王建の古墳を訪れることにしました。開城は高麗の首都だったため、高麗時代の史跡が多く残っているとのことでした。ガイドは、「朝鮮半島最初の統一国家は高麗ですので、我々は、南北統一が実現された暁には、国名を高麗にするつもりです」と話していました。その話を聞き、北朝鮮に、なぜ、高麗航空とか高麗ホテルといった「高麗」を冠する名称が多いのか、その理由がわかりました。
その後、我々は開城から更に南下し、非武装地帯に突入したのでした。非武装地帯の手前には、「ソウルまで70km」という道路標識が立っていました。

非武装地帯の中では、軍人さんによる説明を聞き、朝鮮戦争時に会議などで用いられた建物をいくつか訪れた後、ついに、板門店に到着したのでした!板門店では、会議場の建物がいくつか横に並んでいて、それらの建物の上を真っ直ぐ軍事境界線が走っています。

(写真19:「ソウルまで70km」と書かれた道路標識)

(写真20:板門店。写真中央を横切る線が軍事境界線)
板門店地区では、韓国側の方が、明らかに建物も道路も奇麗なので、私は、ついつい越境したくなってしまったのですが、軍事境界線を越えてしまうと、韓国側で逮捕されてしまうそうなので、それは止めました。

韓国側では、韓国軍と在韓米軍の兵士が、双眼鏡を覗いたりしながら、ピリピリした顔をしてこちらを警戒しています。どういうわけか、この時ばかりは、自分の近くにいた北朝鮮の兵士の方が安全に思えました。
板門店観光の後は、昼食として、朝鮮人民軍の軍人さんの作った料理を食べました。なかなか美味しかったです。

また、我々が昼食を取った場所は、冷戦時代に、ポーランド軍とチェコ軍が駐留していた建物だそうです。ガイドは、「アメリカの陰謀により、東欧の軍隊が板門店からの撤退を余儀なくされたので、現在、この建物は、食堂として使われています」と、説明していました。

(写真21:朝鮮人民軍の軍人による料理)

(写真22:金日成主席の像のある丘を下る新婚夫妻と付き添い人)
昼食後は、開城に戻りました。開城では、歴史博物館を訪れた後、丘の上にそびえる金日成主席の像を見に行きました。金日成主席の像へ向かう階段を上っていると、偶然にも、新婚さんと遭遇しました。金日成主席に結婚報告をしに来たのでしょうか?

不思議なことに、たった1週間の滞在の間、3回も新婚さんを見掛けました。これは、単なる偶然なのでしょうか?
こうして夕方になり、平壌に戻りました。ホテルでの夕食時、北朝鮮の国産の飲料は追加料金が不要であるとの話を聞き、我々は、面白半分で、ウェイターに国産のビールとジュースを沢山持ってきてもらいました。驚くべきことに、全てのビンは歪んでおり、かつ、形もそれぞれ異なっています。更に、その味や品質も大変怪しく感じられました。

ビールやジュースの味がまずいのは仕方がないにしても、ビンの形が、このように不均一なのは理解に苦しみます。もしかすると、北朝鮮では、ビンは全て手作りなのでしょうか?


(写真23:北朝鮮の国産ビールと国産ジュース)

また、この日は、食堂で働いているウェイトレスのお姉さんとも話をする機会が持てました。驚くべきことに、最高学府である金日成総合大学を出ているとのことでした。なぜ、単なるウェイトレスをしているのでしょうか?なお、このお姉さんに限らず、ホテル、土産屋、観光地等で働いている現地の女性には、どういうわけか、美人が多かったです。ある程度選りすぐった女性たちを外国人と接触させているのでしょうか?


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