第3日(平壌観光1)


早朝、妙香山を後にし、バスは全力疾走で平壌へと戻りました。殺風景な郊外とは異なり、平壌市内は、まるで別世界のようです。

平壌市内に到着すると、我々は、まず、万寿台にある金日成主席の銅像を訪れました。この銅像は、日本でも有名なので、誰もが見たことがあるのではないでしょうか?高さが20メートル以上あるそうですが、確かに、間近で見ると、その巨大さに圧倒されます。銅像の両側にある大記念塔も巨大なもので、その彫刻の緻密さには、息を飲むほどです。

(写真10:とにかくデカイ!金日成主席の銅像)

(写真11:現地の名物・平壌冷麺)
その後、昼食を取るために、大同江の川岸にある玉流館という大衆食堂に向かいました。そこでは、現地の名物である平壌冷麺なるものが出されたのですが、私にはチョット辛すぎました。それに、前菜を含め、出された量も大変多かったので、私は一杯で十分満腹になってしまい、お代わりすることができませんでした。それを見たガイドは、「お代わりしないんですか?朝鮮の人たちは、みんな二杯くらい軽く食べますよ」と、食糧危機だとは思えない発言をしていました。
昼食後は、朝鮮労働党の党創建記念塔を訪れました。朝鮮労働党のシンボルを構成する金槌と鎌と筆が天に向かっているというデザインです。金槌は職人を意味し、鎌は農民を意味し、筆はインテリを意味しているそうです。
(写真12:朝鮮労働党の党創建記念塔)

(写真13:ご存知!チュチェ思想塔)
そして、いよいよ、有名なチュチェ思想塔に向かいました。塔の高さは、150メートル。エレベータで、塔の上まで昇ることができました。塔の上には、更に、高さ20メートルの「のろし」が取り付けられています。塔の上からは、平壌の街全体を見渡すことができました。大同江からは、スイスのジュネーブを意識したのか、大きな噴水が噴き上がっていました。

なお、このチュチェ思想塔では、日本人妻の小林さんという方がガイドをしていました。現在は、ここでガイドをしながら、息子さんやお孫さんたちに囲まれて、平壌で幸せな暮らしを送っているとのことでした。
次に訪れた場所は、凱旋門です。何でも、平壌の凱旋門は、パリの凱旋門よりも大きいそうです。言われてみれば、確かにそんな気がします。門には、1925という数字と1945という数字が彫られているのですが、1925は、金日成主席が祖国解放を志して平壌を後にした年で、1945は、金日成主席が日帝を打ち破り、平壌に凱旋した年を示しているそうです。

なお、ここには10分〜20分ほどいたのですが、結局、車は数台しか通りませんでした。

(写真14:凱旋門。パリのものよりも大きい)

(写真15:随分と高価そうな服を着ている噴水公園で見掛けた子供たち)
この日の夕方は、サーカスを観劇することになっていたのですが、まだ時間があったので、まず、万寿台芸術劇場の前にある噴水公園を訪れました。そこでは子供たちが水遊びしていたのですが、どういうわけか、日本の子供たちよりも高価そうな服を着ていました。

そして、次に、楽園百貨店というデパートを訪れたのですが、どういうわけか、販売されている日本製の清涼飲料水のほとんどは、賞味期限が切れたものでした。日本で賞味期限が切れてしまったものを納入しているのでしょうか?
その後、平壌サーカス劇場に向かいました。観客は、外国人の他、現地の人たちも、結構来ているようで、席は、全体の8割くらいが埋まっていました。サーカスの内容は、結構オーソドックスで、特に驚くべきものは何もありませんでしたが、朝鮮の民族遊戯を取り入れたアクロバットもあったので、私としては、それなりに楽しめました。
(写真16:平壌サーカス劇場でのアクロバットの1つ)

サーカス観劇を終えて、ホテルに戻って夕食を取った後、ホテル内の見物に出掛けました。1階には、フロントと食堂の他に、各種売店があり、食べ物やお土産や電化製品や薬など、本当に色々なものを売っていました。地階には、サウナやパチンコやカラオケバーなどがありました。2階には、北朝鮮の各種出版物を売っている書店や国際電話センターなどがありました。

部屋に戻る前に、実は、この書店付近で、よど号ハイジャック犯のメンバーである安部公博氏を見掛けていたのですが、てっきり、他の北朝鮮ツアーの参加者とばかり思っていて、しばらく全然気が付きませんでした。交番の前に貼ってある指名手配の写真を、普段から見慣れていれば、すぐに気が付いたのかもしれません。


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